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表現について


     

 最近、古希の記念に半生記を自費出版した御婦人と話す機会があったが、その素敵な本のタイトルの中に使った「土筆(つくし)」という漢字が読めない人が多いと嘆いておられた。若い人であればまだしも、彼女と同年輩の方々からも「土筆(どひつ・つちふで)って何ですか」と電話口で尋ねられることが多いそうだ。表題にもルビをつけた方が丁寧なのかも知れないが、体裁もあってルビをやめた経緯もあった。また表題にこそフリガナは振っていないが、土筆の由来を述べた文にはルビも振ってある。だから彼女を読み解きたい人であれば、おそらくその半生記を熟読することでで「土筆」の書名の由来やルビに辿り着くであろうし、彼女を読み解く資格のない人であれば「土筆」の読みを知る必要もないのであろうと思って、「使う人がいなくなれば、その言葉を読む人もいなくなる。言葉を次世代に伝える意味でも、胸を張って自分がいいと思った言葉を頑固に使いましょう」と彼女には答えた。

 cc話は飛躍するかも知れないが、明治大正の小説を読んでいて思うことは、その表記の多様さだ。たとえば「こころ」と読ませる言葉一つとっても、「心」という表記以外に、
 「意」(夏目漱石「明暗」)
 「腔」(成島柳北「柳橋新誌」)
 「霊」(谷崎潤一郎「刺青」)
 「感」(小杉天外「はやり唄」)
 「情」(田村俊子「あきらめ」)
 「情緒」(島崎藤村「破戒」)
 「心情」(日夏耿之介「転身の頌」)
 「心底」(徳富蘆花「思出の記」)
 「心地」(広津柳浪「変目伝」)
 「心裡」(長塚節「土」)
 「心霊」(萩原朔太郎「月に吠える」)
 「心臓」(伊良子清白「孔雀船拾遺」)
 「心性」(日夏耿之介「黒衣聖母」)
 「性質」(巖谷小波「こがね丸」)
 「良心」(島崎藤村「破戒」)
 「思慮」(石橋忍月「蓮の露」)
 「魂魄」(近松秋江「別れたる妻に送る手紙」)
 「精神」(伊藤左千夫「野菊の墓」)
 「意識」(田中光二「血と黄金」)
 等々の様々な表現が見られる。その他にも「意中」「胸中」「意義」「理性」、中には林芙美子の「放浪記」のように「青空」を「こころ」と読ませる場合もある。まあ、「快晴」で「こころよい」と読む時代だったから、天気が心模様を表現しても不思議ではない。その他にも、周辺の言葉をみると「所期」(こころあたり)、「情態」「情緒」「真情」「心情」「心地」「心分」で「こころもち」などと読ませている。未だ文部省による「教育漢字」だとか「常用漢字」などが制定される以前だから、表現者が漢籍の素養に基づいてそれぞれの表現を模索していた時代だからこその表記だとも言える。
 しかし、こうした表記の表現に接するとき、ふっと思うのは、私たちの感情生活のそれぞれの場面で使われる「こころ」という和語に相応しい内容は、「心」という表記ばかりでは表現しきれない場合も多いのではないか、例えば時には「意」を「こころ」と読ませた方が表現としてより的確な場合だってありうるのではないか、ということだ。
 確かに小学校などで「こころ」という「読み」対する漢字を既述のようにたくさん「教える」のは混乱を招くに相違ない。しかし、時と場合・文脈によって「心」以外の漢字をその漢字本来の意味から「こころ」と読んでも差し支えない場合が多々あるではないだろうか。教育の便法・手段としての漢字教育に異をとなえるつもりはないが、それによって押し潰してきた表記・表現も多いのではないだろうか。
 また新聞や論文などでは誤読を警戒する意味で、植物や動物の名前をカタカナで記す場合が多くなってきた。「常用漢字」などの目安も、多くの人にわかりやすいようにとの配慮から生まれた表記基準だが、必ずしも多くの人に読んでもらう必要でない私的な表現はこれらの目安に縛られる必要はさらさらないと思われる。
 文学作品として結晶した表現行為は、実は自己を他者に開くという一般性を持つ一方で、読みとる側を選んでいる極めて私的表現なのである。優れた文学作品の多くはこうした二面性を何層にもわたって備えている。誰にでもわかる一方で、誰にもはわからないのだ。作品を読み解く面白さは、こうした表現を読み解くことに他ならない。
 そして、自分が世界にたった一個の存在であるように、自己を表す言葉はたった一つしかないのだから、本当に自分を表現しようとすれば、それが時代の基準や規範から逸脱することはままあるのではないか。逆に、世界の中でたった一人しかいあない自分を表現するに既成の表記で何の抵抗ないというのであれば「あなたは本当に生きているのですか?」と問いたくなるが、おそらくそうした人にはその問いも届かないのかも知れない。


 
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